息子が主宰している劇団の第7回公演が昨日、終わった。
息子は多分打ち上げで、まだ帰宅していない。
彼の劇団のツイッターを見ると、今回の公演を見た人の感想がある。
その感想の多くは「良かった」「面白かった」「ついに多摩美(息子の卒業した学校)からこんな過激な劇団が出た!」
など等の概ね、良好な感想が多かった。
演劇の評価も親としては興味があるが、それよりも何よりも、無事に全ての公演が終わってくれて嬉しい限りだ。
どの程度の収益が出るのか分からないが(前回、初めて「黒字」になったそうだ)、好きなことを仕事にしてくれて、これまた、親としては嬉しい限りだ。
あとは、やっぱり、公演前の怒涛の1ヶ月を我が家で「爆発」せずに過ごしてくれるか、だ。
公演1ヶ月前からは「もうだめだ!」とか「もう間に合わない!」とか「死ぬしかない!」など等のネガティブな言動を「爆発的に」毎回、繰り返す。
そんなに辛いなら、もう止めればいいのに、と第三者的には思うのだが、それでも演劇をやりたいらしい。
僕の妻が言うには「出産は辛いけれど、どんなふうに辛いかは忘れてしまい、産まれた子どもがかわいくて仕方がないので、次の子どもを作るんだよね。それと一緒かしら」とのこと。
そうかもしれない。
「ゼロ」から人様からお金をとってまで見せられる程度の劇を作る、というプロセスは普通の人には考えられない。
これまた僕の妻が言うには「私の家系ではなく、あなたの家系の血を継いだのね」とのこと。
これまら「そうかもしれない」。
自分でゼロから何かを作って、人様にその作品を見せるというのは僕の父(歌人)から三代続く「文系かつ自己顕示欲」の血のなせる技だ。
2月には映画作成の手伝いがあり、主宰する劇団の第8回公演が4月にあるらしい。
当分、しばらくは、妻は息子の「機嫌の悪さ」を息子の寝起きから気にしないといけない。
劇作家を息子に持つと、「公演」1ヶ月から家の中は嵐のようなのだ(産みの苦しみ)。
その嵐を引き受けるのも親の仕事か、と。